生きることの大切さについて自身の経験からお伝えします
南修治みなみ しゅうじ
シンガーソングライター
プロフィール
1957年 名古屋市に生まれる。
1978年 音楽活動を始める。
1981年 名古屋を離れ田舎暮らしを始める。
1985年 岐阜県恵那市に転居し、自力で家を建て、田畑を耕し、手作りの生活を楽しむ。
1995年 この頃より不登校、ひきこもりの若者の支援を始め、心のケアにあたり、音楽活動だけでなくカウンセラーとしても活動する。
カウンセラーとしての活動や手作りの生活の経験を歌に託してお届けする機会が与えられ、全国各地で講演やコンサートの活動を病気になるまで続けてきた。
2014年 両親の介護を目的に名古屋に戻ってくる。ほどなくして原因不明の痛みと身体症状に襲われ、午後からはほぼ寝たきりとなり、日常生活の多くに助けが必要な要介護生活となる。そんな中でも歌を作り続け、支援する側と支援をもらう側の両方を経験しながら音楽に深みが与えられる。
2021年4月 病気の原因が判明し、新しい治療を受けたところ、痛みが消え、すべての症状がなくなり、6年近く続いた「ほぼ寝たきりの生活」から解放される。
2022年 病気の経験が増し加わり「今を生きることがすばらしい」「がんばらなくてもいいよ~何があってもだいじょうぶ~」「それでも生きる意味はある」などをテーマに音楽、講演活動を再開する。
これまでにCDアルバム13枚、エッセイ集や子育て支援本など10冊の著作があるが、最新作のCDは闘病中に作ったものである。
講演テーマ
今を生きることのすばらしさ~カウンセラーとしての経験と6年間の闘病生活~
カウンセラーとして活動していた時に、人間のすばらしさをいうものは学校に行くか行かないか、働いているかどうかで決まるものではないことを、不登校やひきこもりの若者たちに伝えてきた。仮に人生の迷いの中にあっても、足踏みした経験をいかしながら生きる道が必ず用意されている、としていたのである。
そんな自分が原因不明の病気になり「ほぼ寝たきり」の生活を強いられることになった。問われたことは、病気になったからこそ、生きられる道があるとして、かつて自分が言ってきたことを実践することだった。
痛みや症状がある中にあっても、病気をテーマに歌を作り、それを発信し、病気になった自分だからこそ描くことのできる歌があった。原因不明の病気が癒された今、その経験をお伝えする使命が与えられている。
<歌>
君のままですばらしい
一番弱いところに
愛されるために生まれてきた
幸せのうた など
がんばらなくてもいいよ~何があってもだいじょうぶ~
原因不明の痛みと震え、倦怠感に襲われ、なぜ自分だけがこんな目にあわなくてはならないのかと思う時もあった。どの病院に行っても治す方法がないと言われ、落ち込むこともあった。そんな時に支えになった言葉が「がんばらなくてもいいよ」というものである。
ついつい落ち込んでいる人たちに「がんばってね」と励ましてしまうことがある。しかしそれは力にならないことを知っている。がんばりたくてもがんばれないときもあるからだ。
かつてカウンセラーとして活動していた時に、私は困難や試練にぶつかった人たちに「がんばらなくてもいいよ」と語り掛けていた。そんな自分が深刻な病気になった時、同じように「がんばらなくてもいいよ」という言葉から慰めと励ましをもらうことになった。
病気に打ち勝って「治る」こと、つまり「がんばる」ことだけを目標にしていると動けない自分を責め、治らない病気に絶望してしまうことになる。これを体験的に知ることができたのである。
がんばらない生き方とは「治る」「治らない」にこだわらず、何があってもだいじょうぶと、その時、与えられた人生を生きることだった。
<歌>
だいじょうぶだからね
がんばらなくてもいいよ
心抱きしめて
わかってほしい など
生きる意味を見出す~「ほぼ寝たきり」の生活を通して探し続けた生きる意味~
原因不明の病気になり、仕事を失い、収入はなくなり、日常生活の多くを家族の介護を必要とする「ほぼ寝たきり」の状態になった。かつてはカウンセラーとして活動し、シンガーソングライターとして全国を飛び回り、多くの人にもちいられていたはずなのに、病気になって人生が一変してしまうのであった。起き上がることすらできない日が長く続くと「こんな自分に生きる意味があるのだろうか」と問いかけてしまうこともあった。
そんな闘病中に相模原市で重度障碍者施設に男性が押し入り、多くの入所者を殺害するという痛ましい事件が起きた。加害者の倫理は「何もできない人、他人の世話にならなければ生きられない人たちに生きる意味はない」というものだった。
この考え方は間違っている。しかし、間違っていると言うからには「それでも生きる意味はある」ことを立証しなければならない。病気によって、何もできなくなり、他人の助けがなければ生きられなくなった私には「それでも生きる意味はある」ことを証明する責任が与えられた。それができなければ加害者の考え方を本当の意味で否定することにはならないからだ。
どんな状況にあっても人には生きる意味がある。6年間の闘病生活の中で私は生きる意味を探し続け、病気からも学ぶことができた。そして生きる意味を見出す作業によって、厳しい傷みと症状の続く毎日にあっても絶望することなく生きのびることができたのである。その経験をお伝えしたい。
<歌>
存在
何かあるよね
わたしの友達が言いました
過去を赦し現在を認め未来を楽観する など
■キーワード
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